著者紹介

ピエール・ブルデュー

20世紀最後の世界的「知識人」― 超領域の人間学

 構造主義的決定論(レヴィ=ストロース)と主体の哲学(サルトル)の二項対立をのりこえる諸概念を駆使し、人文社会科学のあらゆる分野を横断した「超領域の人間学」者。
 コレージュ・ド・フランス教授の職務にとどまらず、社会学の共同研究はもちろん、自ら編集した雑誌『Actes de la recherche en sciences sociales(社会科学研究紀要)』、自律的出版活動〈レゾン・ダジール〉、「ヨーロッパ社会運動協議会」の組織などをとおして、世界的知識人として行動。最晩年は反グローバリゼーションの国際社会運動をリードし、多くの人びとに惜しまれながら2002年1月逝去。逝去翌日のデリダのコメントが『ル・モンド』に載り、追悼会ではサイードらが弔辞を寄せた。

Pierre Bourdieu(1930―2002)
高等師範学校卒。アルジェリア時代を経て、社会科学高等研究院教授・研究主任、教育文化社会学センター(現・ヨーロッパ社会学センター)主宰。'81年からコレージュ・ド・フランス教授。超領域的雑誌『社会科学研究学報『Actes de la recherche en sciences sociales』、言語横断的書評誌『リベール』を自ら編集、多方面に多大な影響を与える。2002年1月23日死去。

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「彼はとても旧い友人で、ずいぶん多くのものを分かち合いました。私たちの友情はいつも強く、きわめて豊かなものでしたが、いっぽう緊張に満ち、時にはむずかしい関係であったことも事実です。彼の訃報には心底衝撃を受けています。
私たちは1949年、ルイ・ル・グラン高校のエコル・ノルマル受験準備学級で知り合いました。それからエコル・ノルマルで共に学んだわけですが、彼は当時まだ社会学専攻ではなく、私たちは哲学について、特にライプニッツやハイデガーについてよく語り合ったものです。その後アルジェリアで再会しましたが、私は当地で兵役についており、彼のほうは社会学者として出発したところでした。
しかし私たちの間で本当の意味での交流が再開したのは、60年代の終わりです。彼はその頃社会学の刷新に取り組んでいて、『社会学の社会学』を打ち立てるために、哲学を内部に組み込んだ仕事を始めていたのです。それは世界的に見ても、現代社会学の偉大な、かつ独創的な形でした。
彼は社会的活動のあらゆる場(界)を解明したいという野心をもっていました。知識人の場も、彼自身の活動も含めてです。彼が好んだ言葉のひとつに『客観化する』、つまり『あらゆる無自覚な実践行動において作動しているものを分析し客体化する』という意味の言葉がありますが、この言葉を軸とするこうした『超批判的』な構築作業が彼の方法の中心にあって、その価値をなしていました。
私たちはよく議論を闘わせ、哲学場へのアプローチに関しては意見の対立もありましたが、それでも社会的闘争のプロジェクト、特に移民の置かれた状況をめぐる運動においてはしばしば手を携えたものです。1994年、ストラスブールで国際作家議会を創設したのも、こうした共同作業のひとつです。
彼は常に社会参加する知識人でしたが、1995年からはこの側面が社会的闘争という形をとり、その立場はラディカルで、かなり孤独なものでした。私は彼と同じ行動はとりませんでしたし、物事にたいするアプローチの仕方も同じではありませんでしたが、それでも彼を駆り立てていたものに自分はかなり近いと感じてはいました。しかし私はかけがえのない証人を、そして友人を失ったのです。」
(「今は亡き旧い友人とのこと」ジャック・デリダ
『ピエール・ブルデュー 1930-2002』より
『ル・モンド』2002年1月25日付、ジャン=ミシェル・フロドンによるインタヴュー)