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2004年2月号

近代消費社会と女性 ――『ボヌール・デ・ダム百貨店』刊行―― 吉田典子

消費社会における女性イメージ
 ゾラは小説の冒頭部と最終部に、その作品の中心テーマを提示する印象的な場面を持ってくるのが得意だが、『ボヌール・デ・ダム百貨店』も例外ではない。
 小説はひとりの娘とデパートとの出会いから始まる。ノルマンディーの田舎町からパリに出てきた20歳の娘ドゥニーズは、生まれてはじめて目にするデパートのきらびやかなショーウインドーにすっかり魅了されてしまう。胸元をあらわに、にっこりと微笑む二人の女性像が「ボヌール・デ・ダム」(レディの幸福)と書いた看板を掲げている。なかでもドゥニーズを魅惑したのは、あふれんばかりの白いレースを背景に、三体のマネキンが豪華なコートをまとっている既製服のショーウインドーである。それは「女性の魅力に捧げられた礼拝堂」であった。
 しかしそれらのマネキンには頭部がなく、「その代わりに大きな値札が、首の赤いメルトン地に針で刺されて」いる。そして「ショーウインドーの両側に張られた鏡は、計算された効果によってそれらを反射し、無限に増殖させて、これら売り物の美女たちで通りを満たしていた」。頭部の切断と値札、そして鏡による増殖、これがゾラにおける消費社会の象徴的な女性イメージである。

「女を食べる機械」
 ボヌール・デ・ダム百貨店は、経営者オクターヴ・ムーレが、豊富で魅力的な商品と近代商法によってパリ中の女性を誘惑し、驚異的な成長を遂げている店である。商品の陳列はありとあらゆるファンタジーを動員して、夢幻的で官能的なスペクタクルを展開する。しかしこの魅惑的なおしゃれの殿堂は「女を食べる機械」でもあるのだ。婦人客は崇められる一方で食いものにされ、あまりに強烈な誘惑は、買い物狂や万引きのような「神経症」の女を発生させる。女店員の多くは低賃金で使い捨てられ、生活のために売春を行うものもいる。そしてデパートは近隣の小さい店を押しつぶし、店舗を拡張し、販路を全世界へと広げていく。それは限りなく肥大する欲望を体現する怪物的な機械装置なのだ。

大衆消費社会の原点に屹立する
 この小説は一方で、ひとりの貧しく目立たない娘のシンデレラ物語でもある。ドゥニーズは売り子として苦労を重ね、解雇の憂き目にも会い、とりわけ周囲を取り巻く誘惑の雰囲気に悩まされる。しかし生まれ持った忍耐力と勇気、優しさと賢明さによって、社長のムーレから熱愛されるようになる。けれども、彼女はあくまでも自身の「純潔」を守り、それによってムーレを征服する。ここにはあたかもハーレクイン・ロマンスのように、女性読者を惹きつける要素がそろっている。
 実際ゾラは、この小説において次のような「二重の動き」を考えた。つまり商業的側面においてはデパートが勝利する一方で、恋愛の側面ではひとりの娘が「ただその女の力によって」強者に勝利するというのである。ゾラは創作メモに「オクターヴが女性を食いものにし、次いで女性によって征服される。いや、これは愉快だ」と書いている。
 ドゥニーズは小説中で、多数の女たちの「復讐」をするひとりの女となるわけだが、このような図式が有効かどうかは大いに疑問であろう。たとえムーレが敗北するとしても、それは「愉快な敗北」に過ぎないからである。ムーレとドゥニーズの「結婚」は、近代資本主義と家父長制との結びつきを示しているとも読めるだろう。しかしそれが欲情と純潔との矛盾を内包していることも確かだ。
 この小説はまた、デパートに押し寄せる群衆や店員たちの詳しい描写を通して、階級の混交やブルジョワ層の底辺が飛躍的に拡大するさまを描いており、現代にいたる大衆消費社会の原点に屹立する作品となっている。

(よしだ・のりこ/神戸大学教授)

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