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9月発刊セレクション『竹内敏晴の「からだと思想」』(全4巻)推薦のことば!


【推 薦】
木田元 (哲学者)
 結局のところ竹内さんとは、2002年の晩秋に対談をして本にしてもらったとき、一度お会いしただけに終わってしまったが、初対面だというのに懐かしいという思いをさせられるお人柄に深く心を惹かれた。
 親しくしていただくのはこれからと思っていたのに、私が胃ガンを患い、それもかなわなくなった。だが、「からだ」によって裏打ちされていないような「ことば」には人を動かす力はないといったところで、強く共感し合ったことが今も忘れられない。

谷川俊太郎 (詩人)
 アタマとココロとカラダの三位一体から、コエが生まれ、それがコトバとして他者に投げかけられるという、人間が群れとして生きていく基本を、竹内さんは繰り返しおのが肉体を原点として他者に働きかけ、またそれを文字化して飽きなかった。あの野太い声と、がっちりしてしかもしなやかな肢体の記憶は、竹内さんが遺した書き物とともに、この時代にますます新しい。

鷲田清一 (哲学者)
 「からだに来る」「からだに出る」と言うように、わたしたちの存在が危機に瀕したときにからだは意識に上る。ふだんはそれほど黙って〈わたし〉を支えている。そのような〈わたし〉のを、あるいは沈黙の支えを、竹内さんはずっと触診してきた。そして案じてきた。こうした基に根を下ろしていないと、ことばもいのちも閉ざされて、他のそれにふれられなくなる。届かなくなる……。そのことを竹内さんはわたしたちに語りつづけた。

内田樹 (文学者)
 竹内さんの文章は、意味がよくわからないところでも、音読してみると、すっと話が通ることがある。意味が「わかる」のではなく、言葉が身体の中を抵抗に出会うことなく、通り抜けてゆくのである。私にはそれを「飲み込めた」ということである。食物を摂取する経験に似ている。「飲み込んだ」ものが何であるかを知らぬままに、それはしばらく時間を経た後に、実際に血となり肉となって私をかたちづくってしまうのである。

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「ことば」は思念を写す道具か? 真にことばを掴んだ瞬間の鮮烈な経験を記した『ことばが劈かれるとき』著者として、また「他者」と出会い、生きようとする〈竹内レッスン〉主宰者として、「生きること」の常識を叩きつぶし、執拗に問い続けた、稀有の哲学者。
浮遊し変遷を続ける現代という舞台上で、己の「からだ」を唯一無二の拠点に、一人の存在者として、日本の戦後社会の硬直をしなやかに弾劾し続けた、比類なき不退転の定点観測者の足跡をたどる旅、遂に発刊!

セレクション
竹内敏晴の
「からだと思想」

(全4巻)

いよいよ9月発刊です!
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第1巻 主体としての「からだ」
    「ことばが劈かれるまで」と演出家としての竹内敏晴
    [寄稿]福田善之

第2巻 「したくない」という自由
    戦後日本社会の定点観測者として
    [寄稿]芹沢俊介

第3巻 「出会う」ことと「生きる」こと
    「湊川」と以後の竹内敏晴
    [寄稿]鷲田清一

第4巻 「じか」の思想
    「からだ」を超える「ことば」を探して
    [寄稿]内田樹

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《体裁》
四六変並製
各巻350頁平均
本体各2800~3600円+税予定

ことばは、声の一部です。声は、からだの働きの一部です。
からだが他人に向かって働きかけているのでなければ、声やことばが、相手を動かすことはありません。発語という行為はまず、ある具体的な人を動かすための全身的な行動なのです。
(『生きることのレッスン』より)